3) 早稲田大学の初級の教科書は,1963年ごろから作成が開始され,試用しながら改訂が重ね4) 『講座日本語教育』は,語学教育研究所が主催する日本語教育講習会の講義録として,1965年 5) 海外技術協力事業団(OVERSEAS TECHNICAL COOPERATION AGENCY,JAPAN)には,専●62吉岡氏が携わった教材溶液にくぐらせると,原稿に書かれた部分が発色する。複写紙は光線に弱く,退色しやすいという欠点があった。られ,1967年に『外国学生用日本語教科書初級』として初版が出版された。年に第1分冊が発行された。1988年に日本語研究教育センターが語学教育研究所から分離独立して,日本語教育講習会が開催されなくなってからは,日本語教育の調査・研究の発表誌として,2006年の第42分冊まで発行された。任の日本語教師はいなかった。そのため,吉岡氏が事業団の担当職員と連絡をとりながら教務的な仕事もしていた。6) 赴日留学生予備学校は,中国政府の派遣留学生が日本の大学で研究するのに必要な予備教育を行う目的で,1979年に東北師範大学内につくられた機関である。当初学部学生が対象であったが,1983年から修士課程の大学院生に切り替えられた。早稲田日本語教育実践研究 第1号/2013/50-64吉岡氏と日本語教育19621963早稲田大学文学部に入学1964早稲田大学語学教育研究所でアルバイトを始める。→「1.日本語教育との出会い」1965・早稲田大学大学院文学研究科に入学・海外技術協力事業団(現,国際協力機構)TOKYO INTER-NATIONAL CENTERで日本語を教え始める。1967→「2.日本語を教え始める」・早稲田大学国際部(現,国際教養学部の前身)で日本語を教え始める。1968・桐蔭学園中学校にて1年だけ国語を教える。→「3.日本語教師を生業とする気持ちを固める」19701972表 吉岡英幸氏と日本語教育日本語教育の流れ・外国人のための日本語教育学会創立・早稲田大学語学教育研究所開設文部省(現,文部科学省)に留学生課設置青年海外協力隊発足文化庁発足外国人留学生問題研究会(後に国際教育交流協議会)発足東京外国語大学付属日本語学校開設国際交流基金発足
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