●61注 した。これはイギリスの特徴というよりケンブリッジ大学の日本語教育の特徴のようでした。個人や機関,国による学習スタイルの違いというようなものがあるのだと思いますが,そうした特徴を見て,それに合った教育方法を考えることが有効だということでしょうか。私は初めに技術研修員,それから留学生の日本語教育に携わってきました。数えると半世紀近く日本語を教えてきたことになります。最近は,地元の日本語教室での日本語教育や,そこに来る学習者について聞く機会が多くなったのですが,大学での日本語教育とはかなり違うようです。そこに通って来る人々は,日本語が上手になりたいという思いは共通していますが,人とのつながりを持ちたいという思いを持つ人も多いようです。人と知り合うにしても,人とつながるにしても,まず日本語ができなければいけないわけですが,日本語教室に来ること自体,人と知り合う機会であると考えて,通う人もいるようです。こうした近年の日本語教育の状況を見ると,以前と比べると確実に広がり,求められるものも変わってきていることは確かです。以前は教師に必要とされたものは,日本や日本語に関する知識であり,日本語が教えられる技能であると言われていましたが,今はそれほど簡単には言えない,複雑になってきているようです。私は,日本語教育を一口に言えば,日本語をとおして人と知り合うこと,理解し合うことであると考えています。人と理解し合うためには,お互いに信頼できる関係がなければなりません。そして,お互いの存在,立場を認め合うこと,お互いを尊重し合う気持ちがなければならないわけです。そういう意味で,教師が上に立って,下にいる学習者に教えるという関係,意識は極力避けなければならないですよね。常に学習者の視点,立場に立つことが重要になります。また,教師の役割は,日本語をとおしてスムースにお互いが理解し合えるような,楽しくできる環境を整えることになります。そのための努力,配慮,工夫などが必要になるんじゃないでしょうか。このような考えは,実は非常に常識的で,当たり前のことを言っているに過ぎないですよね。教育の基本であって,何も日本語教育に限ったことではないと思うんです。私がこのように考えるようになったのは,理論的研究の結果というようなものからではなく,経験的なものからです。大事なことは,その当たり前のことを研究上の理論や論文のお題目としてではなく現実の授業でいかに実践するかということだと思います。これからも,日本語教育は変化していくと思いますが,日本語をとおしてお互いが知り合い,理解し合い,人の輪がどんどん広がっていくといいと思います。1) 2012年9月23日に早稲田大学日本語教育学会2012年秋季大会にて,吉岡英幸氏,細川英雄氏,蒲谷宏氏(いずれも早稲田大学大学院日本語教育研究科)の三氏による鼎談が行われた。鼎談のテーマは,「日本語教育学のこれまでとこれから―早稲田の日本語教育を基点として―」であった。鼎談は,吉岡氏へのインタビューと同様の問題意識に基づき,(古屋により)企画された。なお,2013年2月発行の『早稲田日本語教育学』13号に鼎談の文字化資料が掲載される予定である。本稿と併せ,ご参照いただきたい。2) 当時のコピーは,青焼きとよばれたジアゾ式複写機で,半透明の用紙に鉛筆などで書いて原稿を作成して,それを感光紙に密着させ,複写機内を通過させる。その後,感光紙だけを水吉岡英幸,他/日本語をとおしてお互いに知り合うエッセイ&インタビュー/インタビュー6.日本語教育は日本語をとおして人と知り合うこと
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