●60師範大学に設置された赴日留学生予備学校6)に派遣されたときです。この予備学校は,日本留学が決まった理工系を専門とする大学院生を中国全土から長春に集め,必要な予備教育を実施するための機関です。前期の4か月で集中的に日本語教育を行い,後期の2か月で日本語と,日本語による理科系の専門分野の教育を行います。派遣される日本語教師は4名で,東京外国語大学付属日本語学校から団長を含む2名が派遣されていました。他の2名は国際交流基金からの派遣でした。私は団長として,他の3名の先生と2月の末に北京を経由して長春に入りました。厳寒期はマイナス30度で大変だと脅かされ,覚悟して行ったのですが,雪はあまり積もらず,寒さも思ったほどではありませんでした。ただ,3月4月は空も街も灰色で,気持ちも暗かったですね。それが,5月に入ると一斉に花が咲き,街路樹が芽吹き始めます。モノクロの世界が突然カラーに変わったという感じでした。春の到来をこれほど喜んだことはないですね。自転車で町中を走りまわりました。私にとって最初の本格的な海外生活ということもあって,異文化に身を置いて感じる違和感が面白く,ずいぶんメモをしました。授業が終わって廊下を歩いていると,日本人の女性の教師が黒板を背に当惑した様子で,男子学生の質問に答えていたんです。私も経験あるけど,対面したとき日本人が自然だと思う相手との距離と,握手する習慣のある国の人が立つ位置と違うわけですよね。お辞儀する場合より,握手する距離が近いため,近寄ってこられると圧迫感を覚え,つい後ろに下がってしまう。おまけにその時の男子学生は背も高く大きな体をしており,教師にかぶさるように見える。小柄な教師のほうはこれ以上下がれないので,黒板に背中を張り付けてたというわけです。本で得た知識を実地で体験した一例ですが,初めて見聞きすることも多く,毎日が刺激的でした。留学生が日本に来て生活するときは,同じように様々な違和感を感じるのだなと思いました。朝,宿舎から送迎用のバスで大学の前に着くと,学生たちが大学の門のあたりを三々五々歩いている。中には大学の周りを囲っている低い塀の上を本を片手に歩いている学生もいる。その学生に何をしているのか聞いてみると,教科書を暗唱しているのだというんです。どうして危ない塀の上を歩くのかというと,緊張するほうがよく頭に入るからと言う。厳寒の中,教科書を片手に白い息を吐きながら壁の上を行ったり来たりして日本語を学習する様は,何か心を打たれるものがありました。そのころの中国の学生は,みんな国を背負うという意識を持っていて,ひたむきに日本語を学習していました。まだ生活レベルは日本と20年ぐらい差があるといわれた時代ですが,学生の目は輝いていましたね。授業が終わって教室を出ようとすると,「今日は宿題がありませんか,ほしいのですが。」と言われたことがありましたが,学生から宿題を催促された経験はあのときだけですね。暗記は中国人の重要な学習スタイルだということがわかっていたものですから,最初の時期は,学生に自由に任せるよりこちらから暗記に適当な箇所を指示して宿題にし,翌日チェックしようということにしました。こうした学習スタイルは国によっても個人によっても違うわけですが,それで思いだすのは,この何年か後,イギリスのケンブリッジ大学を訪問したときのことです。ケンブリッジの日本語の先生によると,学生は非常に優秀であり,文法に関しても納得できるような詳細な説明を求めるし,大変だという話でした。したがって,初級の教科書も英語で文法が非常に詳細に解説してあります。条件の「と,ば,たら,なら」でも,初出の課で,それぞれの意味や用法の異同についてかなり詳しく説明されています。授業では文法の説明に大半の時間が費やされ,場面設定を行った会話や活動的な練習はあまり見られませんでした。日本語の授業時間数もそんなに多くないこととも関係しているのでしょうが,理解をさせておくことが重要であり,日本に行って実際の場面に遭遇すれば,学生は十分に対応できる能力を持っているという考えのようで早稲田日本語教育実践研究 第1号/2013/50-64
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