●56だと思うんですけど,「視聴覚教材の使い方について講師をやるんだけど,実例として紹介したいからこれを貸してくれ」っておっしゃったので,お貸ししたこともあります。あのころ,授業で教室に行くとき,教科書だけ持って行く先生はほとんどいなかった。今の若い先生がどんな授業をしているのかよく知りませんが,教科書だけではいい授業ができるはずがないと思っていました。だから,後で教師養成の講習会に呼ばれたときなどに,活用練習などに使う動詞や形容詞の絵パネルなどを見せたり,作成した教材の実例や使用法などを紹介し,何に使うかわからないけど,おもしろいと思ったおもちゃや模型や絵・写真などがあったら,集めておくことを勧めていました。良さそうな写真があったら,板目紙に貼ってためておく。で,ストックの中から,教える項目に適当なものを抜き出して教室に持っていく。教科書が決まっていれば,毎回,同じ箇所でその教材が使用できるわけです。そうした教材が増えてくれば,練習のバリエーションが増えるわけです。おもしろい絵や写真などから,新しい練習を思いつくことも多いです。今は,そうした絵教材や写真パネルなどが市販されており,それを買える時代になりましたよね。便利になったのはいいのですが,自分で工夫していろいろな教材を作成しなくなったような気がします。教材を作ることで得られるものは大きいのですがね。2-4.自分が楽しんで教える海外技術協力事業団で教え始めて1年半たった1968年9月から,早稲田大学でも教え始めたんです。早稲田大学の日本語教育は,そのころ語研と国際部の2箇所でやっていたんですね。国際部というのは1年間,アメリカの提携した大学から送られてくる学生たちに,英語で講義を行うのですが,外国語として日本語が必修になっていたんです。1963年に開設され,2004年に語研といっしょになって国際教養学部に改組された組織です。たぶん木村先生が推薦してくださったのだろうと思うんだけど,内心は心配なさっていたでしょうね。学生はアメリカ人ですから,教え方に問題があればすぐにクレームが来ますからね。当時は今のように日本語教育の経験者が少なく,人材不足だったということもあったと思います。現在は早稲田大学の学籍がある人は学内で教えることはできないのですが,そのころはそういう規則はなかったんでしょうね。もらった辞令には嘱託と書いてありました。国際部では,『Learn Japanese:college text』というハワイ大学で出版された教科書を使っていました。著者のお一人である岡野(喜美子)先生が,国際部で教えていらっしゃった関係だと思うのですが。当時はオーディオ・リンガル・メソッドの全盛期ですから,パターン・プラクティスを中心とした授業が一般的でした。私は英語が得意ではないので,授業では原則として直接法で通そうと考えました。たぶん,国際部で教えていた先生は,私以外みなさん英語が堪能な方だったはずです。教科書も英語母語話者のためのものですし,授業も英語が多く使われていたのだろうと思います。私は,基本的には事業団でやっていたような方法で教えました。視聴覚教材を活用し,学生の活動を中心にする。ただ,語彙や文型の理解には誤解されないよう注意をはらいましたね。学期が終わったとき,クラスの学生が,「先生の授業の評価は,非常によかったです。」と教えてくれました。今は大学が,学生のアンケートなどで,各授業についての評価調査を行っていますが,当時は公式にはそんなことはしていなかった。国際部の学生の間で,公表されない教師の評価が行われていたようでした。直接法で通したことが一応評価されたのだろうと思いました。私は日本語教師は,ある時期,徹底して直接法で教えてみたらいいと思うんです。すごく語感が早稲田日本語教育実践研究 第1号/2013/50-64
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