早稲田日本語教育実践研究 第1号
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●55す。そのためには,いつも学習者の視点に立って見たり考えたりし,当初立てた計画にこだわらず,柔軟に対応することも大切なんだろうと思います。2-3.教材を作ることで得られるものは大きい会話のテキストの中にね,デパートでの買い物の課があって,「何階に何がある」「何々は何階にある」という存在文,所在文を教える課なんですが,この学習内容を教えるために,伊勢丹デパートへ行ったんですよ,家内と。総務課で,日本語教材を作るため写真を撮りたいというようなことを説明すると,お客を撮らないという条件で,簡単に許可をくれた。これをしてくれといって,腕章を渡されましたが。当時はビデオカメラもないので,カメラにスライドフィルムを入れ,家内をモデルにして,受付で尋ねているところとか,受付の女性が案内をしているところ,ネクタイ売り場に行ってウインドウをのぞいているところ,「それを見せてほしい」と言って指差しているところ,店員が「これですか?」とネクタイを持つところというように,1コマずつ撮っていきました。授業では1コマずつそれを見せながら会話をさせました。このスライド教材作成は,後に東京外大の日本語学校に行ったときにもやりました。学校行事で高尾山ハイキングに行ったとき,学校を出るところから,切符を買うところ,電車の乗り降り,リフトに乗っているところ,山を登っているところ,頂上で弁当を食べているところ,歌を歌っているところなどをスライドで撮って,授業のときそれを見せながら会話をさせたり,ストーリーを語らせるという形の独話体の練習,聞き手を先生や先輩に代えることによる待遇表現の練習というようなことをやりましたね。回転寿司などない時代,寿司屋なんてのは,高いからめったに行けないんだけど,あるとき寿司屋に入ったら,寿司の日というポスターが貼ってあったんですよ。おいしそうな寿司の大きな写真。これは欲しい。寿司などはリアルにうまく絵に描けないんです。で,寿司屋さんに「これ,外国人に日本語を教えるとき使いたいんで」って言って,もらってきて。それで,寿司の部分だけ切って板目紙に貼って財産とした。そういうことをしょっちゅうやっていました。そのころ,早稲田にも若い先生が何人かいて,お互いに情報交換したりしていました。電車の吊り広告にはいい写真があるんですが,それをもらいに行った人もいましたね。倉庫に山ほど積んであるポスターからいいものを選ぶのが大変だったと言っていましたが。木村先生に影響を受けた人たちは,そういうことをよくやっていたんですね。私だけではなかったと思うんです。さきほど買い物の課のスライド教材のことを話しましたが,絵教材でも作りましたね。大きい紙,模造紙を買ってきて,デパートの地下2階から屋上までの各階のフロアの区切りを描いて,各階にスーパーのチラシや雑誌の写真から切り取った,食品とか,衣料とか,電気製品などを貼っていくわけです。その上に,スーパーのチラシから切り取った値段を示す数字を貼ります。エスカレーターやエレベーターも描き入れる。お手洗いも男女用のものを何階かに描く。屋上は,あの頃は屋上は子供の遊園地になっていたので,その絵を描く。それで,1階,2階,3階と,「階」の数え方を教えるんですね。「〜は〜階にあります」とか,「〜階に〜がありますか」とか,「〜はいくらですか」などの練習をするわけです。数字は教科書では100までしか出ていなくても,買い物をしたい研修員には値段は大切ですから,すぐに万の位まで覚える。つまり,教科書に出ているその課の語彙も文型も表現も,この1枚の教材で全部教えられるわけです。というか,それ以上の語彙が自然に出てくる。教科書を開ける必要もなく,楽しい雰囲気の中でできる。そういう授業の組み立てをやっていました。あるとき,木村先生が事業団にいらっしゃって,文部省の日本語教育の講習会吉岡英幸,他/日本語をとおしてお互いに知り合うエッセイ&インタビュー/インタビュー

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