早稲田日本語教育実践研究 第1号
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●53と聞いています。ローマ字表記の日本語と,英語の対訳があり,英語で簡単な文法の説明がしてあります。ポケットサイズで,研修員がこれを持ち歩き,見ながら会話ができるようになっているテキストなんですね。夜の日本語コースは,福利厚生の一環として,週4日間,月火木金,6時半から8時まで,2か月で終了するコースです。夕方研修から帰ってきて,興味がある人たちが教室に顔を出す。気軽にだれでも参加できるという日本語のクラスなんですね。義務じゃないから,楽しいクラスをやらなかったら誰も来ないんです。最初出席しても,つまらなかったらみんな途中で辞めてしまう。工夫をしなきゃいけないんですね。文型や語彙を教えるためにひたすらパターン・プラクティスなんかをやっていたら,だれも来なくなるんですよ。このようなコースで,最初に実践を行ったということが,たぶん,私の日本語教育の原点になったんだろうと思います。場面シラバスの会話のテキストですが,教えるときはその課の内容を頭におきながら,提出順序はやりやすいように自分で組み立てていました。教科書は最後にどんな内容が書いてあるか確認のため開かせるだけで,途中で開けさせることはない。そのためには手ぶらでは教えられないので,場面設定などのための視聴覚教材を教室に持ち込んで,使用しました。だから,教師になりたてのころから,雑誌などでカラーの絵や写真を見つけると,すぐに切り取って,板目紙という厚紙に貼っていくというようなことをやりましたね。また,いろいろな国の切手やたばこなどの実物,野菜や果物や料理,動植物や乗り物,職業などの写真を集めて,これらも板目紙に貼っていくんですよ。で,それを教室に持ち込んで,紹介,買い物,タクシーの乗り方などの練習をするわけです。あとで,大学などで構造シラバスの教科書を使用するようになっても,基本的に私は同じ教え方をやりました。自分のことや学習者のこと,その時のニュースなどを話題にしながら,その場で新しい学習項目を先にやっちゃうんですね。新出語や新出文型などを理解させたあと,今度はいろんな場面やいろんな条件を投げかけて,学習者同士でやりとりをさせる。この部分が授業の中で最も重要で,中心にならなければいけないと思っていました。この考えは今も変わりませんが。教師は前面に出る必要がない。それこそ裏方でいい。できるだけ学習者に活動させる。教師はそのような活動がしやすいように,いろいろな小道具などを用意する。そのような環境を作ることが大切だと思います。もちろん,最初からこのようなことを考えたわけではなく,やっているうちに,学習者の反応などを見ながら,だんだんそういう考え方が固まってきたように思います。その環境を整えるためには,補助教材の作成など,多くの準備と実践での工夫がいるのです。2-2.学習者の視点に立つ私のいつも心がけていることというか,授業の中での基本的なスタンスというのは,学習者の視点に立つということですね。それはずーっと現在まで変わっていません。コースデザインに関した例でいえば,学習者がどんな日本語能力や情報を得たいと思っているか,そのためにはどんなカリキュラムが適切かなども,学習目的や対象者によって,それぞれ考えなければいけないのではないかと思っていました。現実には難しい問題ではありますけどね。今でも忘れないのは,事業団の昼間の集中コースで,鉱山コースというのがありました。教科書は一応決まったものがあったんですが,話を聞いてみると,研修員は研修場所が各地の鉱山ですから,山の中へ入っていくというんですね。8週間のコースで学習時間の余裕は十分ではない。だから,これは一般的な語彙や文型をやってもあまり役に立たない。本当に必要な日本語をしぼって教えたほうがいいと考えたんですね。で,鉱山協会へ行って,資料を見せてもらい,鉱山でよく使われる言吉岡英幸,他/日本語をとおしてお互いに知り合うエッセイ&インタビュー/インタビュー

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