早稲田日本語教育実践研究 第1号
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●50私(古屋)は以前から日本語教師としての吉岡先生にインタビューをしてみたいと思っていた。その背景には,次の二つの問題意識1)があった。一つは,自分が自身の生業である「日本語教育」がこれまでどのように行われてきたかをあまり知らないということである。私は,日本語教師養成講座に通い,日本語教育能力検定試験に合格し,日本語学校の非常勤になるという,ある種,典型的な過程を経て,日本語教育の世界に入った。養成講座に通っている当時,私はすでにあるものとして,様々な「日本語教育」に関する知識や技術を受容していた。しかし,そこで「日本語教育」に関する知識や技術とされていたものにも,それが「日本語教育」に関する知識や技術であるとされるに至る過程があったはずである。そういう,いわば「日本語教育」が「日本語教育」になっていく過程を,実際に体験されているであろう吉岡先生から自身の経験に関する語りとして,聴いてみたいと思った。もう一つは,吉岡先生から「日本語教育」のこれまでを聴くことをとおして,「日本語教育」のこれからを考えてみたかったということである。もちろん,自身のこれまでを振り返り,自身の教育観を明確にし,教育観に基づき実践を考えることは必要である。しかし,私は,歴史的な経緯と何の関係もなく,日本語教育に携わっているわけではない。好むと好まざるとに関わらず,私もまた,「日本語教育」のこれまでの延長線上にいる一人である。そのため,自身の「日本語教育」のこれからを考える上で,吉岡先生のような先人からこれまでの「日本語教育」に関する同時代的証言を聴くことが重要ではないかと考えた。本稿は,2012年7月22日に行われた吉岡英幸氏へのインタビューをもとに,作成された。インタビューは,約3時間にわたり行われ,日本語教師としての吉岡氏の半生が語られた。(聞き手は,本稿の構成・編集を担当した古屋と河住である。)本稿は,インタビューの文字化資料を「吉岡氏がどのように日本語教育観,および日本語教師観を形成したか」という観点に基づき,一人称一人語り形式で再構成することにより,作成された。そのため,本稿では,吉岡氏の日本語教育観,日本語教師観が形成されたと思われる日本語教育との出会いから,早稲田大学日本語研究教育センター(現,日本語教育研究センター)に着任するまでが主に扱われている。(吉岡氏の詳細な経歴に関しては,末尾の「表:吉岡英幸氏と日本語教育」を参照のこと。)語り手:吉岡英幸聞き手,および本稿の構成・編集:古屋憲章・河住有希子早稲田日本語教育実践研究 第1号/2013/50-640.本インタビューが行われた経緯,およびインタビューの概要日本語をとおしてお互いに知り合う―吉岡英幸氏へのインタビュー―

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