私1)は2009年から早稲田大学日本語教育研究センターにおいて,総合日本語クラスを担当して●1牛窪 隆太日本語授業に集まった留学生を対象に,留学生活における授業の位置づけを明らかにすることを目的として「日本語環境マップ」の作成とインタビューからなる調査を実施した。授業とクラスメイトの位置づけについて分析した結果,教室において日本語の練習のためにやりとりを行なうことで生まれる疑似性によって,留学生たちがクラスメイトに対して,同じ学習者であるという肯定的評価と外国人であるという否定的評価の両方を行なっていることがわかった。そのことから,教師自身が教室に生み出される練習の場としての疑似性を捉えなおすための方向性を検討する。キーワード:実践研究,留学生活,「日本語環境マップ」,練習の場としての教室,疑似性牛窪隆太/留学生は日本語授業をどのように位置づけているかA language classroom as a place for practicing論 文1.はじめに□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□How do JSL exchange students place Japanese language class:要旨論 文きた。しかし,学期を重ねるにつれ,教室に集まる留学生たちの関係性に違和感を持つようになった。それは,授業に対する留学生の意欲や姿勢の低下といったものではなく,同じクラスにいるという所属感の薄さや,異なる教育プログラムに参加している学生同士の無関心さというようなものである。一人ひとりの留学生はよく話し,教師との関係性も良好であるように見える。しかし,ペアワークやグループワークなど,クラスメイトと協働で行なう学習に意味を見出していないように思われる学生や,他の留学生と日本語で話しても意味がないという態度を見せる学生がいると感じるようになった。毎学期,コース開講日にオリエンテーションを実施しコースの内容を学生に伝えるが,あるとき,一人の留学生からこのクラスには外国人しかいないのにどうやって日本語を勉強するのかという質問を受けた。私はそのとき,教科書もあり複数の教師がチームティーチングで教えるから大丈夫だというような曖昧な答えをしたように思う。しかしそれ以降,授業の中でときおり,学生の発言や発表に対して他の学生がとる態度が気になるようになった。ある学生は他の学生の発言にほとんど関心を示さず,私とだけ話したがっているようであった。またある学生は,発表の際に,聞き取りにくい発音で話す学生からの質問にあからさまに嫌な顔をした。 言語教室は,中立的な場ではなく政治性を持った社会的な場(Pennycook, 2001)であり,参加者がアイデンティティをめぐって交渉を行なう場(Norton, 2000)であるという捉え方がされるよ留学生は日本語授業をどのように位置づけているか―教室の練習の場としての疑似性をめぐって―
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