早稲田日本語教育実践研究 第1号
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●9なので勉強にならないといった。つまり,授業が練習の場としての位置づけを与えられ,その中で相反する評価が与えられているのと同様に,クラスメイトに対しても,同じ日本語学習者であり連帯感が持てる相手としての肯定的評価と日本人ではないことへの否定的評価という,相反する評価が与えられている。ただし,クラスメイトが日本人でないことは,常に否定的評価につながっているわけではない。チェは,クラスメイトと仲良くすることで,より日本語や日本語学習に興味が持てるようになるとしていた。カテゴリーにまとめることはできなかったが,チェがクラスの中で緊張せずにたくさん話せる理由は,クラスメイトが日本人ではなく外国人であるからという側面を持つものである。つまり,チェの発言においては,クラスメイトには「日本人ではない」ことと,「外国人である」ことに対して,それぞれ肯定的評価が与えられていると考えられる。クラスメイトを「真似しちゃだめな日本語」を話すと否定的に評価しているキムもまた,話す活動が多いクラスではクラスメイトがどんな人であるかは大切だといった。このことから,授業に対する評価が個人の中にあいまいに並存するものであるのと同様に,クラスメイトに対する評価も,「日本人ではない」ことと「その人である」ことに対する評価が並存し,その間で揺れ動くものであったと考えられる。授業は留学生活において学習目的の中で評価され,外で応用するための基礎を学べる場として位置づけられている。そのような位置づけにおいて,留学生たちは授業に対して肯定的評価と否定的評価の両方をしていた。クラスメイトについて,留学生活の中では,クラスで話す知り合いであり,その位置づけにおいて,肯定的評価と否定的評価の両方がなされている。この関係をもとに,それぞれ授業の位置づけとクラスメイトの位置づけについて図式化したものを以下に示す。図3は授業についてまとめたものであり,図4はクラスメイトについてまとめたものである。留学生たちは,知識の獲得や練習を行ない,教室の外で使う日本語に自信が持てるようになる日本語学習の場所として,授業を肯定的に評価していた。その一方で,授業は普通の日本語が使えない場所として否定的に評価されていた。これら二つの相反する認識の裏には,同様に,教室の外が現実であり,教室はその練習の場に過ぎないというこの授業に対する認識を想定することができる。留学生たちは,基礎を学べる練習の場として授業を評価すると同時に,授業での練習のための図3 日本語授業の位置づけ牛窪隆太/留学生は日本語授業をどのように位置づけているか図4 クラスメイトの位置づけ論 文5.考察

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