早稲田日本語教育実践研究 第1号
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●6位置づけるものである。そのため,『生活での位置づけ』としてまとめた。ここには,すべての留学生の発言からのコードを含めることができた。留学生たちは授業に対して,現実的なやりとりをする場というよりは,応用のための基礎の学習,目的のための手段という,他の場所での使用を前提とした練習の場としての位置づけを与えていた。「学習のペースメーカー」は,授業によって自身の学習を義務化できるという内容のコードをまとめたものである。マイケルは,ライトノベルを読むために語彙や漢字が必要であるが,書き言葉の勉強は,自分ではなかなかしようと思わないと話した。しかしこの授業をとることで,語彙や漢字が勉強しなければならないものとして学習できたという。チェもまた,日本語の勉強は自分ではやる気が起きないが,授業をとることで頑張って勉強するようになったといった。このように,留学生たちは,日本語を練習する場として授業を位置づけるだけではなく,自分では取り組む気になれない日本語学習に向き合うための手段として授業を位置づけていた。「卒業のための成績・単位」は,学部生の語りからのみ生成されたカテゴリーである。ユンは,この授業がほかの日本語の授業より大切である理由として,単位が5単位であることをあげた。同じく学部生であるリーも,必要な6単位のうち5単位をこの授業でとることができたと話した。日本語の授業が必修科目となっている学部留学生にとって,授業に付されている単位数は卒業のためにも重要なものであり,この授業は,いい成績や多くの単位がもらえる場所として評価されていた。「自信感の創出」は,授業での学習によって自分の日本語に自信が持てるようになるというコードをまとめたものである。例えば,ジェニファーは,ある場面での決まった言葉や話すべきではないことを授業で勉強することで,外では自信を持って話せるとしている。以上,「基本知識の獲得」,「学習のペースメーカー」,「卒業のための成績・単位」,「自信感の創出」は授業についての肯定的な価値づけと意味づけられる。そのため,『価値(+)』というグループを作成しここにまとめた。留学生たちにとって,この授業は自身の目的や参加している教育プログラムの科目の一つとして選択されたものであり,日本語学習を積極的・消極的に進められる場として肯定的に評価されている。一方で,授業には否定的な評価も与えられていた。ピーターは,学部でとっている中国語の授業で日本人の友達と日本語で話し,インターネットのオンラインゲームや電子掲示板への書き込みに日本語を使っているという。しかし,この授業で勉強している内容は授業の中だけのことであり,普通の日本語は使えるようにならないと話した。また,サビナは,授業で習うことは生活の中には出てこないものであり,教科書にあるような日本の本当の文化ではなく,毎日の文化をランゲージパートナーと話す時間の方が大切であるといった。ここでは,授業で扱う日本語が,留学生たちが教室外で接する日本語と異なるものであることが否定的に捉えられている。このように授業で学ぶ日本語や日本語使用の非現実性に対して否定的に述べているものを「教室≠普通の日本語」とした。また,教材や内容がおもしろくないという否定的なコードを「つまらない」にまとめた。インタビューにおいて,授業の価値は,教師の存在とともに語られるものでもあった。ジェニファーは,教師がおもしろくて尊敬できるのであれば,その授業は重要な授業になるといった。教師の存在が自分にとっての授業の重要性を左右するという内容のコードを「教師の存在」にまとめた。今回の分析では,日本語授業の価値について「つまらない」と対になる「おもしろい」に当たるカテゴリーを作成することはできなかったが,発言の内容から,「教師の存在」は『価値(−)』には影響を与えるものであることがわかる。そのことから「教師の存在」を『価値づけの要因』と早稲田日本語教育実践研究 第1号/2013/1-15

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