●97古屋憲章,他/クラス担当者の実践観,教室観,教師観はどのように変容したかシーラさん(仮名)を中心とするリピーター学生は,「今後プロジェクトをどのように進行するか」「進行するにあたり,クラスの時間をどのように使うか」ということをある程度,考慮しているようである。こうなると,担当者が「次の授業では何をするか」と考えること自体が,本クラスにおいては最早ナンセンスであるように思えてくる。(100506 授業記録_コメント)だからといって,担当者は必要ないかというと,そうではなく,そこにいることで,雨風をしのげる屋根のように,何があっても大丈夫という安心感を与える存在になっているのではないかと思う。ようやく,これまでたびたび話してきた部活の顧問になってきた感がある。(100506 TA報告書_コメント)本授業においては,目的そのものに対し,その問題性を指摘するというアプローチは有効ではない。その目的でイベントを行った場合,具体的にどんな問題が起こり得るかということを指摘し,指摘を踏まえ目的そのものが再考されることを期待するというアプローチを取る必要がある。(100527 授業記録_ミーティング)特集 教室中心主義からの解放/寄稿論文「イベント企画プロジェクト」開始当初より,私たちは,一貫して担当者はクラス活動に積極的に関与・介入しないという方針を採ってきた。なぜなら,担当者の関与や介入は,学習者が自分たちで問題に気づき,協力して問題を解決する経験を通して学ぶ機会を奪う行為であると考えていたからである。ところが,4–1–4,4–2–4ですでに記述したように,実際には幾度も関与・介入が検討され,実施された。「10春」においても,引き続き関与・介入は実施された。しかし,関与・介入の仕方に質的な変化が見られるようになった。具体的には,関与・介入の仕方に関し,次のように考えるようになった。「10春」において,私たちは,学習者から特に問題視されることなく,国際交際(結婚)経験者に対する興味本位な関わりやステレオタイプを助長するような異文化理解といったイベントの目的が挙がってくるという場面に遭遇した。その際,私たちは,次のように考えた。このような場合,担当者がイベントの目的そのものに異議を唱えても,学習者には理解されにくい。企画の内容に即し,具体的に提案,あるいは指摘を行うことにより,担当者の提案や指摘はアドバイスとして有効に機能する。例えば,国際交際(結婚)経験者に経験談を聞き,楽しむといったイベントの目的に異議を唱えるよりも「イベントに招かれた国際交際(結婚)経験者が好奇の目にさらされ,不愉快な思いをする可能性があるのではないか。そもそも国際交際(結婚)経験者がそのような形でのイベントへの参加を望むのか」といった具体的な問題点を指摘したほうがアドバイスとして有効に機能する。「09秋」までに見られたイベントの目的に異議を唱えるような介入を問題意識への介入であるとすれば,上述した企画の内容に即した具体的な提案・指摘は,企画内容への関与であると言えよう。「09春」,「09秋」において,私たちは,問題解決のための討論会をイベントとして行うというクラス活動の目的に強いこだわりを持っていた。そのこだわりが「総合活動型日本語教育」に長く携わってきた経験に由来することは,4–1–4で述べたとおりである。しかし,「10春」に至り,クラス活動の目的への強いこだわりは徐々に薄れ始めた。そのきっかけとなったのは,4–3–2で述べたリピーター学生によるクラス活動への主体的参加である。リピーター学生が自分たちなりにイベントの目的を立て,イベントの企画を進めていく姿を見て,私たちは,一方でクラス活動の全てを学習者に委ねると言いながら,一方でイベントを企画する目的に関しては学習者に委ねていないという矛盾を実感するようになった。そして,次のように考えるようになっていった。学習者が主体的にイベント企画を進めていくことを重視するのであれば,できるだけ学習者から出て来たアイディ
元のページ ../index.html#99