●809 教師の役割の転換8-1 アンケート9「授業中にあまり質問をしない理由は何か」(自由記述及びインタビュー)①単語を辞書で調べるから大丈夫(12) ②自分で言葉を探した方が,人に聞くよりもっと覚えることができる(2) ③一人でゆっくり読みたい(4) ④自分で(いろいろ深く)考える(10)⑤自分で答えを探したい。自分の力で読む習慣をつけたい(6) ⑥今はレベルが下の本を読んでいるから大丈夫(2) ⑦レベルがあっているから大丈夫(2) ⑧静かだから質問しにくい(2)8-2 考察上記の回答から推察されることを何点か挙げる。まず,参加者が読みにおいてわからないと感じるものは,単語レベルが多い(①②)。電子辞書等の普及により,単語を調べることはそれほど困難な作業ではなくなりつつある。そのため,語彙に関して質問する必要性が減っている。生教材では,未学習の文法がでてきているはずだが,その点については参加者はそれほど困難を感じていない,あるいは,多少わからなくても,文意(単文〜複数段落を含む周辺箇所)を取るうえでそれほど大きな問題としていない。次に,わからないところがあった場合,自分の有する知識を総動員して,自らの力で文章世界を作り上げていきたいという意思が参加者にはあるということがわかる。(②④)単語レベル,またそれ以外のことであっても,自らの力で考え,自分自身で答えを探す重要性を参加者は感じている。つまり,読むという行為は能動的に行うべきであり,文章と自らが一対一で真剣に対峙しなければ,文章を自らのものとすることができないということを参加者自身は認識している。③「一人でゆっくり読みたい」という回答からは,時間や質問に追われるような読みではない読みを参加者が求めていることがわかる。④「自分で考える」というのも,同様であろう。⑤「自分で読む習慣をつけたい」という回答からは,参加者が,自立的な読み手になる必要性を感じていることがわかる。教室の外,つまり三要素が存立していないところでも,参加者は自らが読まなければならないことを自覚している。それは,学校で定められた枠組みから外れたものであっても,教室の外の世界では果敢にチャレンジすることが求められている現状を参加者自身の方が理解していると言ってもよい。教室活動においては,クラスレベルを基準にできることできないことのボーダーを引いてしまいがちであるが,個々の参加者が教室の外で何をしなければならないかということを考慮していくことも,ひとつの指針として必要なことであろう。このようなクラス活動にあたっては,教師も自らの役割が変わることを自覚しなければならない。即ち,参加者に「教えられる者」であることを強要しないように振る舞うよう,自らを律することが必要になってくる。本クラス活動においては,教師は教室に存在してはいるが,それは常に「教える者」としてあるわけではない。参加者が読みものの世界に没頭し,読みものと1対1の対話を行いつつ,自らの力で作品世界を構築しているときには,「教える者」としての教師の存在は不要である。参加者が作品との対話に躓き,作品世界の構築に行き詰まったときにのみ,参加者の世界に現れればよい。参加者が「教えられる者」ではなく,自立した読み手であろうとしているときに,教師が自らの「教える者」という役割から離れることができなければ,参加者を「教えられる者」という役割から自由にすることはできない。早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/71-83
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