●721 読解クラス活動における三要素2 本稿における読解授業「自由読書」早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/71-83作用,テキストに関する情報の利用に大別することができる(Davies1995)。Pearson(1992)は読みの得意な者の使用するリーディングストラテジーとして,既存知識の活性化,読解途中でのモニタリング,理解の修正,情報の重要性の把握,情報の統合,推論,テキストに対する問いかけ,の七つを挙げている。舘岡(2000)(2005)は,母語話者,第二言語学習者(日本語学習者)の優れた読み手,苦手な読み手に対する実験を行い,彼らの使用するリーディングストラテジーを詳細に検討した。そして,第二言語の優れた読み手は,メタ認知を多用し,テキストと読み手の内部リソースと外部リソースの三者を頻繁に相互作用させ,知識獲得を促進させているという知見を導き出している。これらの二つの読解活動は,授業の中で組み合わされる形で行われることが多いが,どちらの活動においても前提となっているのは「読解クラス活動における三要素」である。一般的な読解クラス活動においては,教師が学習者のレベル,クラスの目的に合わせた教材を選択する。学習者は与えられた教材を読み,設定された問に答え,教師の解説を聞き,正しい解答の導き方を学ぶということを繰り返す。また,読解教材についている「本書の使い方」1)を確認しても,まず,教材の目的が書かれ,その目的に沿った使い方として,教師,あるいは学習者がするべきことが記述されている。いずれにしても,一般に行われている読解クラス活動においては,教師主導,教材主導型の活動になりがちであり,そこでは,「教える者(教材を選択する者)」「教えられる者(学習者)」「教えられる内容(授業の目的のために選択された教材)」の三要素の存在が前提となっている。本稿においては,「読む行為は個人のものである」という授業観に基づく読解授業を提案したい。この授業観においては,「読む」という行為は能動的で個人的なものであり,教師の決めた何かのために行わなければならないというものではない。個人が読むという行為そのものに意味がある。読むという行為は文章と読み手との個人的な対話であり,読みによって形成された文章に基づく世界は過程においても表象においても個人のものである。「読む」という行為を,第二言語習得,あるいは教室,教育というものから離れ,個人の行為としての読みに立ち返って考えるとき,読むことは,まず,何を読むかという読むものの選択から始まる。「読む」という行為は,常に状況モデル2)を更新し続けなければならない極めて能動的な行為である(卯城2009)。そのため,読み手の積極的な関わりとモチベーションの高さを必要とする。書かれているものを読みたい,あるいは,読まなければならないという,読むものの選択に対する読み手の積極的な関わりと強い要求によって,「読む」行為は読み手にとって重要性を帯び,行為の意味づけが行われ,読み手のモチベーションが上昇する。しかしながら,一般的な教室活動においては,「読むもの」の選択というのは,個々の読み手にほとんど与えられていない。一般的な教室活動においては,「教える者」「教えられる者」「教えられる内容」という三要素が自明のものとされている場合が多い。よって,この教室活動における三
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