早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●5特集企画者一同/特集:教室中心主義からの解放特集 教室中心主義からの解放サポートが実施された。いわゆる日本語の教室の外で行われる日本語チュートリアルは,それに参加する学習者,支援スタッフの双方が日本語の教室を相対化する可能性を持った活動であると言えよう。守谷・尾関・坂田・田中・福池・小高論文は,上述した日本語チュートリアルを担う支援スタッフの行動指針とその育成に関する論考である。本論文では,支援の際のスタッフの行動指針の拠り所となる理論的背景を述べるとともに,スタッフ・ディベロプメントの一環として行われた事例検討会の報告を通して,教員と支援スタッフによる留学生支援のためのコミュニティの創出が提案されている。留学生支援コミュニティの創出は,学習者,支援スタッフのみならず,日本語教育に携わる教員も日本語の教室を相対化する可能性を持つと言えよう。寄稿論文とした六編は,いずれも,早稲田大学日本語教育研究センターで行われている日本語教育実践を対象とする実践研究である。舘岡論文と熊田論文は,「『読み』の新展開」というテーマのもと,教室における「読み」の意味を捉え直した実践研究である。(特集テーマにおける両論文の位置づけに関しては,「『読み』の新展開」のページを参照のこと。)古屋・古賀・三代論文は,「イベント企画プロジェクト」という実践における教師の実践観,教室観,教師観が変容する過程を詳細に記述した実践研究である。本論文では,二つの異なるあり方によるリフレクション,すなわち実践の現状を把握するリフレクションと実践の構造を把握するリフレクションを行き来することが,筆者らの実践観,教室観,教師観の変容を支えていたことが示唆されている。多くの教師が,自身が教室中心主義に陥っていることを意識していない。なぜなら,多くの教師にとって,教室が日本語教育の中心であることは,意識するまでもない当然の前提であるからである。本論文において提案されている二つの異なるあり方によるリフレクションを行き来することは,教師が自身の教室中心主義に気づき,日本語教育実践を多様な観点から捉えられるようになるための一つの手段となる。中山由佳論文は,「演劇作品制作」という実践を対象とする実践研究である。「演劇作品制作」という実践では,演劇作品の公演を媒介に,教室から社会に向け,何らかのメッセージを発信することが意図されている。多くの日本語教育実践は,教室の中だけで全ての活動が完結するように設定されていることが多く,教室を取り巻く社会は,あまり省みられない。一方,「演劇作品制作」は,社会に向け発信することを前提に活動がデザインされているという点で,教室中心主義から解放された実践であると言える。中山英治論文は,「日本語教育教材考:映画『男はつらいよ』の日本語と日本文化」という実践を対象とする実践研究である。「日本語教育教材考」という実践は,日本語教育に関心を持つ外国人留学生と日本人学生の混在型授業クラスにおいて,映画『男はつらいよ』の日本語教育教材としての価値を考察するという内容である。従来の教材論においては,教材の中身に関し,論じられることが多かった。しかし,本論文で紹介されている実践においては,「学習者と教材」の関係性,「教師と教材」の関係性,「教材化のプロセス」という観点から,映画『男はつらいよ』の教材としての価値が考察されている。このような教材を教室の中だけではなく,より広い文脈において捉えようとする姿勢は,教室のみを見ようとするのではなく,教室をより広い社会的な文脈において捉えようとする姿勢と相通ずる。教材価値論は,教師が教室中心主義から解放されるための一手段とな

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