●66早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/57-70 分かってくれた,分かった意味と違うんです。③ 自分の考えたことを確認できた時は嬉しかったけど,大体,ちゃんと自分の考えたことを伝える才能がないと。なんか能力……(略)なんかあくまでも考えを変えたくなかった時は……うん,その時は,ちょっとイライラしてきた。みんなが分かってくれないから。④ (みんながわからないのは)私の考え方が分かりづらいから。(略)(私は)考え過ぎる。なんか向こう からちょっと分かってくれる時はなんかできる,話はお互い分かることだから。⑤ えーと,私はドイツ語を直訳しない時(みんなはわかる)。私のドイツ語の文章も,ドイツ語の調子も(昼休みインタビュー(7/4))長すぎる。その文章を直訳すると(みんながわからない)。 ジスから「考えがユニークすぎてついていけない」といわれたボブであるが,ボブ自身自らの異質性を意識しているようだ。読むのが遅い,また,考え方が違うせいで,参加ができないと語っている。ボブは,ここではメンバーと対話によって関係性を構築することができず,やる気をなくし予習をしなくなり,その結果,さらに参加がうまくいかない,発言もしない,という悪循環を引き起こし,最後はグループの席から別席に移動するという「事件」にいたった。この問題はボブが作りだしたもののように見える。教師はボブによる「被害者」をこれ以上増やしたくないという気持ちがあったし,周囲の者も「ジスさんがかわいそうだ」と捉えていた。しかし,関係論的な立場に立てば,「問題」は当事者ひとりの問題であるというよりも,当事者がもっているものと周囲との関係に生じる。LDの子どもに対して支援的な仲間がいればLDであるという現象は問題とならない(McDermott,R. & Varenne,H.1997,刑部1998,本山2004 ほか)。「問題」が可視化されるような状況は,ボブそのものというよりも,ボブと周囲との間に生まれたといえる。「参加」という捉え方は,すでに決まった活動があり,そこに参加したり,しなかったりするという印象を与える。しかし,参加する,しないはボブの側だけの問題ではなく,相互作用の中で作られていくものであろう。3.3.「問題」はどのようにして解消?されていったか問題が問題でなくなったのは,まずほかの学生から参加を促されたことがあげられる。ボブ自身もインタビューでドンヒョンのことを「親切な人だと思った」と言っている。自己の異質性を意識していたボブにとっては「存在が認められた」ということができるだろう。存在が認められるということは,そのグループの一員として認められ,参加を促されていることになる。また,担当の教員に対してインタビューによって自分を語るという機会も奏功していたと思われる。インタビューでは,ボブは過去と現在を往還し,自分の経験(事件)を意味づけ解釈することとなった。帰国まで残り時間があまりないことも意識されたようである。これは,大きなビジョンの中で,現在の自分を位置づける行為であったといえよう。インタビュー自体も,ボブと教師の対話という相互行為によって意味づける行為が共構築されていった。第6回目には,予習をして臨むことにより,積極的に活動に参加することができ,グループ内では認められ,グループの代表として発表することになった。これはグループの総意によるという。実習生Kは観察記録で「今回はボブがかなり読み込んでいたので,話し合いの内容も深いものとなっていた。メンバー全員が活発に意見交換をしていた。グループ内の雰囲気はかなり良かった。」「見たところではメンバーは推理小説が好きなようでもあり,また特にドンヒョンとボブは読みなれている感があった。」「今回はメンバーがよかったように見受けられた。」と書いている。ボブ自身,数日前のインタビューでは読むことの自信のなさを訴えたばかりなのに,ここでは「読みなれ
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