●624日目の授業では,第1作文を読んでクラスメイトとさらに話し合った。そこでは,なぜキティ早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/57-70見えても台湾人であることを主張したい。」と考える自分との異なりが可視化された。同じテキストを読み,当初は同じ理解だと思っていたが,対話を重ねる中で自らの意見の固有性に気づいたのである。そこで,2日目の話し合いを経て考えた作文プランシート(宿題)には,「たしかにいまどきの人は,いくらのパスポートをもっているかどうかはもうそんなにめずらしくない。だが,人は人種があるだろう。たしかに国は大抵シールみたいな,そんなに重視されないかもしれない。私は,自分がどこの国の人のことをハッキリ言えるように,現代人の国家意識を書きたいだ。」と書いている。最初は前掲のように「私は私です。(略)みんな同じという気がする」と書いていたのに,ここでは,他者の発言を取り込んだ上で自らの主張を明確にしている。3日目は,グループの仲間と作文プランについて話し合った。クラスメイトからは「自分と異なる例を書けばもっとハッキリなるかも」といわれたという。そこで,コメントを受け入れ,宿題として作文(第1作文)では,以下のように書いている。実線部に仲間との対話が,また波線部にテキストの内容が反映されていると思われる(下線は筆者が付した)。【第1作文(部分)】同じ台湾からの留学生の友達は,ニュージーランドのパスポートも持っている。留学前にずっとニュージーランドに住んでいたのだ。台湾出身なのだけど,小さい頃から引っ越したのだ。彼女にとして,自分は確かに台湾人だけど,中国や台湾と呼ばれたのは,あまりそんな深い問題ではないのだ。日本に住んでいると,ここの生活にはとても気に入ったから,日本のパスポートもほしいと私に言った。また,たくさんパスポートを持ったら,一冊よりいろいろな便利があると,彼女が言った。(*)私は,「さまよえる老婆」の筆者のような,ただ一冊のパスポートを,お守りのように,いつも大切にしている。別にそんな取りがたいではないけど,私にとっては,ただ唯一自分のアイデンティティーを表明するものなのだ。それすらもなかったら,私は中国人になり,ヨーロッパやアメリカ人にとって,私は更にアジア人になるだろう。台湾の国際の立場は,もうそんなに弱いのに,もし国民は自分が台湾人というのを言えなかったら,この国は本当に消えてしまうだろう。この点について,私も老婆のように,たとえ他の人に中国と言うシールを貼られたとしても,私は私だ。小型哺乳類は,恐竜に抵抗する力がないから,自分の生きる方で生きればよいのではないと思わないか。(**)と同じ台湾人なのに,国に関する考え方がそんなに違うのかが話題になった。それをふまえて,キティは第1作文の(*)および(**)の場所に新たに以下の文章を書き加えた。ここには,他者との異なりに気づくとともに,人によって異なることを受け入れようとするキティの態度が表れている。【第2作文で書き加えた文】(*)同じ台湾人だが,生活環境の影響かもしれない,人によって,自分にとって国は異なることになるのだ。
元のページ ../index.html#64