●57第1に,ことばを学ぶ教室とはどのような場なのか。ことばは人と人をつなぐものである。した1.背景寄稿論文教室実践の新展開/「読み」の新展開1.1.問題意識ことばを学ぶ教室において,近年,教室という場への問い直しが起きている。教師の主導による一斉型,講義型の教育の場から,学習者が主体性や協働性を発揮できる学習の場へと転換すべきであるという動きである。本誌の特集「教室中心主義からの解放」が組まれたのも,そのような背景をふまえてのことであろう。そこには,ことばが社会的なものであるにもかかわらず,ことばの教室が教室外の「社会」と切り離されてしまい,脱文脈化した中で,教室においてのみ通用するやりとりが行われているのではないかといった問い直しがあるものと思われる。このスローガンのもと,学習者として教室に縛り付けられていた者たちは解放され,自由にさまざまな学びの場を求めて教室を飛び出す。何も学びは教室にかぎったものではない。最近は大学においても,教室外での多様なサポートシステムが充実してきており,学習者たちがその気になれば,かなりのリソース利用が可能である。実際その恩恵を受けている学習者も多くなってきている。教室のソトに刺激的かつ多様な学びがあるとすれば,そして,そこに手厚いサポートもあるのだとすれば,今後,教室は空洞化していくのであろうか。このような背景の中,あえて教室ですべき「日本語の学び」とは何なのかを追究することが,本稿の目的である。そもそも教室に学生たちを集めて学ばせるということはどういうことなのか。そこで展開される「日本語の学び」とはいかなるものか。本稿では,筆者自身の実践をもとに,3つの問題意識をあげる。要旨舘岡洋子/テキストを媒介とした学習コミュニティの生成The classroom as a place of two layers of dialogue特集 教室中心主義からの解放/寄稿論文The creation of a learning community mediated by texts:舘岡 洋子教室中心主義からの解放が意味するものはなにか。それを考えるには,教室でこそ行われるべき日本語の学びとはどのようなものかを検討しなければならないだろう。本稿では,協働でテキストを読む実践を例に,学習コミュニティとしての日本語の教室について再考した。日本語の教室は,教室に集まった他者(クラスメイトおよび教師)と協働して対象(たとえば,テキスト)を理解し,他者を理解し,自己を理解していくための対話を行う場であり,それぞれをつなぐためのことばの使用を体験する実践の場であると考える。キーワード:テキスト,読む,二重の対話,学習コミュニティ,協働テキストを媒介とした学習コミュニティの生成―二重の対話の場としての教室―
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