●55寄稿論文教室実践の新展開教室における「読み」の意味を捉え直したふたつの実践研究論文を紹介したい。言語教育において「読み」を扱う授業の多くは読解授業と呼ばれ,本来個人的な営みである「読み」を教室で教師が展開する。学習者は語句と文型の理解を経て,文章の内容理解へと導かれる。読みのストラテジーを指導することや読んだ内容の正確さの確認が教師の役割であり,学習者の内容理解は教師の質問によって確認され,矯正される。こういった読解授業ではなく,学習者の主体的な「読み」を教室に実現しようとする試みが行われ始めている。舘岡実践も熊田実践も,「読み」を授業の中心に据えながら,「読み」の方法や内容に教師は介入しない。これは,これまでの読解授業とは明らかに異なる。なぜならこれまで教師が主にしてきたことをしないからである。では教師は何をするのか。舘岡実践は,本来個人的なものである「読み」を学習者の協働で行う。学習者は同一の読み物を読み,まず話し合うための土俵を作る。そして個々の「読み」を突き合わせ,その異なりを俎上にのせ議論することが授業の中心となる。教師は,学習者間の「読み」や考えの異なりを浮かび上がらせるよう動くのである。この授業では,読み物を媒介として学習者がつながり教室コミュニティが形成される。熊田実践は,学習者個々人が異なる読み物を個々のペースで読むことを実現したものである。この教室で,学習者は「読み」という行為ではあまり交わらない。熊田はこれまでの読解授業実践において,他の学習者と同じ速さで同じ内容(難易度)を読むことによって苦手意識を持ってしまう学習者を見てきた。そこで,「自分のペースで好きなものを読む」教室を実現させた。教師は,学習者個々の読書環境を支える存在である。学習者は「読み」では交わらないが,同じ教室にいること,教師がそこにいること,「読み」の時間が保障されていることに教室の意義を見出している。学習者が「読み」でつながる舘岡実践と「読み」で独立していく熊田実践は,教室という場の有り方が大きく異なる。しかしながら,「読み」を教師の手から学習者の手に委ねたという点において共通点がある。本誌の企画「教室中心主義からの解放」のひとつの形を,舘岡実践と熊田実践から読みとっていただきたい。「読み」の新展開特集 教室中心主義からの解放/寄稿論文 「読み」の新展開
元のページ ../index.html#57