早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●189小林敦子/多民族国家に住んで考えたことエッセイ&インタビュー/古往今来うその紳士が,親切な二人に「君たちはタミール人かね。」と聞いた時,お互いに顔を見合わせた二人は,にっこりと笑い,「私達はシンガポール人なんですよ。」と言ったのだ。もし私がシンガポール人だったとしたら,それも,公用語にない言語を母語とするシンガポール人だったとしたら,小さい時から,母語,英語,公用語と最低,三つの言語を学習し消化していかねばならない。小学生の時からそんなに幾つもの言語を学習するなんて,とても大変で,私は,とてもシンガポール人にはなれないと思う。それなのにここの人達は,日本語も,フランス語も……語も習いたいというのである。日本シンガポール訓練センターに赴任した私は,外国語である日本語よりもまずシンガポール人として英語か,その他の公用語を,しっかりと勉強した方がいいと思われる訓練生達に出会い,彼らのための,日本語教育をしなければならなかった。そんな矛盾に悩んでいた私は,シンガポール大学の語学センターのタン氏に,ある日事もなげに言われた。「シンガポール人にとって言語は文化の問題ではなく生存の問題なのです。」と。シンガポールを思うたびに,その言葉はいつも私の耳に響いてくる。付記 執筆者の小林敦子先生について小林敦子先生は2011年11月8日に逝去されました。小林先生には,本号への投稿を依頼しておりましたが,それが叶いませんでしたので,早稲田大学語学研究所『ILT NEWS』(1985年3月号)に掲載された先生の文章を,ご遺族の許可を得て,転載することといたしました。小林先生は,1970年代に,青年海外協力隊としてインドでの社会福祉活動,マレーシア・シンガポールでの日本語教育と,海外でご活躍なさいました。帰国後の1982年から,早稲田大学の日本語教育に携わって来られ,2012年3月に退任される予定でした。日本語教育研究センターでは中級・上級レベルの日本語クラスを担当され,最近は「越境文学」「外国人作家の日本文学」をテーマにした授業を独自にデザインされ,リービ英雄,A.ビナード,楊逸,シリン・ネザマフィ,多和田葉子,李良枝らの作品を留学生とともに読みながら,越境によって生み出される文化や言語の豊かさ,アイデンティティの問題を考えるユニークな授業を展開しておられました。また,日本外国人特派員協会所属のフリージャーナリストとして,異文化交流に関する数多くの執筆活動や講演を行っておられました。ここに先生の文章を記し,ご冥福をお祈りいたします。(文責:本号編集担当)

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