早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●1714.ズレの正体 〜ズレをどう考えるか〜鴻野豊子,他/活動型クラスにおける担当者と学習者のズレについてエッセイ&インタビュー/センター最前線を報告した。この問題について話し合った結果,執筆者3名は,そもそも議論の内容を文章化し,目に見える形で成果物(作文)に残すことだけを学習成果と捉えることに問題があるのではないかという疑問を持つようになった。なぜならば,クラスにおける議論の中で,学習者が考えを深めるプロセスもまた学びであると捉えることができるからである。そして,議論した内容が学習者の作文に反映されていることに担当者が安心し,それによって学びが達成されたと考えてしまうことがむしろ危険であると考えるようになった。さらに,クラスにおける議論は学習者が書いた文章を全員で読み合いながら行う場合が多いが,このような「書いた文章をもとに議論する」というコミュニケーション活動自体の不自然さについても3名で話し合った。その結果,担当者は学習者がこのような議論に対して持つであろう違和感を理解することが大切であるという考えに至った。(4)クラスの目的・成果に関するズレ【事例】「私のこと・あなたのこと2」を担当する森元は,担当者と学習者がクラスに求めるものに,ズレがあると感じる場面に何度か遭遇する。担当者がクラス目標として掲げる「お互いのことがわかること」とは,学習者同士が日本語の表現を通して,お互いについての情報や考え,価値観を理解し合うことを指すが,それは,学習者のコミュニケーションの力,人間関係構築の力,言語思考の主体としての育成を意図したものである。しかし,このクラスを選択する学習者の多くが,授業開始当初は「教科書クラスではあまり自由に話す機会がないので,たくさん話がしたい」という動機をもってクラスに臨んでおり,極端な場合には「話す練習の場」という意識を持っていた。また,授業期間終了後,学習者に感想を聞いても「たくさん聞いて話せてよかった」「日本語で長い作文が書けた」というような表面的な成果に対する喜びや充実に留まっている感じが気になった。このようなことから,必ずしも言葉を通して考えを深め,主体的に周囲との関係を築き上げていく達成感を味わう境地に至る学習者ばかりではないということに,担当者として物足りなさを感じることも多かったのだが,それどころか,「話さえすればいい」というスタンスで,意図的に話すのが楽なトピックを選択し,深いやりとりを避け,無難なレポートを書いて終わろうという学習者に出くわすこともあり,担当者として困惑した。【担当者の思い】森元は活動の様々な段階で,クラス目標を繰り返し学習者に説明し,学習者同士がクラスの意義について話し合い,考える機会も設け,趣旨の周知徹底を図りながら活動を進められる工夫をした。しかし,今回3名で話していくうち,担当者の意思を学習者にきちんと伝えることはもちろん重要だが,学習者のクラスへの参加意識は一様ではないため,学習者それぞれの達成感を柔軟に受け止めることも大切であり,そこに担当者の新たな気づきがあるかもしれないという視点を得た。また,無難な話とレポート書きに終始する学習者に対しては,それをねじ曲げるよりも,そのような学習者の現実と考え方に粘り強く向き合うことが必要であると考えた。今回の事例をまとめてみると,活動型クラスでは,担当者が考えているテーマやことばを学習者

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