早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●1703名の執筆者はみなこの疑問に共感し,活動型クラスの担当者は,「思い通りに動くクラスがい早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/168-173いクラスだ」という意識を問い直し,クラスや学習者が「思い通りに動く」ことに対して,もっと懐疑的でなければならないのではないかという考えに至った。(2)ことばの解釈・選択に関するズレ【事例】眞鍋が担当する「私にとって『魅力のある人』4」のクラスで,ある学習者が作文に「人生の意味は死ぬまで分からないから,他の人のために頑張って世界に良いことを残すのが二番ベストだ」という文を書いてきた。学習者の「二番ベスト」はsecond bestを和訳したということなので,「『二番目にいいこと』にしてはどうか」と議論に参加していた日本人ボランティア学生が提案した。しかし,学習者は「一番がダメだから二番目という意味ではなく,『ベストの2つ目の選択』という意味で『二番ベスト』を使っている」とあくまで自ら選択した言葉にこだわった。作文を書いた学習者だけでなく他の学習者も「日本語にはsecond bestに相当する言葉がない。ここは絶対にsecond bestでなくてはならない」と主張し,ついに母語話者である眞鍋とボランティア学生は学習者たちの主張に説得されて,最終的に「セカンド・ベスト」と表記することで議論は決着した。このように活動型クラスでは,表現したいことを明確に言語化しようとする学習者の意思が尊重されるため,本当に表現したいことばや,そのことばの解釈にこだわる学習者の姿がしばしば見られる。上述したようなことばの解釈・選択に関するズレは,執筆者3名がともに各クラスで経験していた。【担当者の思い】日本語母語話者,あるいは母語話者と同等の日本語力を持つ担当者は,学習者より相対的に語彙量が多いため,自らの語彙・表現の解釈や選択が適切であるという思い込みがどこかにある。しかし,十分に時間をかけ,学習者の言葉に対するこだわりと向き合ってやりとりを重ねると,担当者の言葉の選択や解釈が必ずしも正しいわけではないと思い知らされる。したがって,担当者は自らの判断や思い込みが絶対ではないことを十分に認識しなければならないであろう。また,活動型クラスは学習者が選択したことばに徹底的にこだわって,納得できるまで言いたいことを表現するための模索を行える場でなくてはならないという思いを強くした。(3)議論と作文の間のズレ【事例】「私にとって『魅力のある人』4」では,学習者同士の議論を通して学習者各自が選んだ「魅力のある人」に対する考えを深める。また,学習者の書いた文章をお互いに読み合いながら内容について議論を重ね,作文やレポートの完成を目指す。そのため,眞鍋はクラスで活発に議論した内容を,学習者にぜひ作文に生かしてほしい,最大限に作文に反映させてほしいと望んでいたが,完成した学習者の作文を読むと,議論の内容が必ずしも反映していないように感じることがあった。このような学習者の議論と作文の間に生じるズレは,作文に対する学習者と担当者の意識のズレでもあると言える。【担当者の思い】眞鍋は,議論と作文の間のズレは学習者が自分の考えを文章化した時点で満足してしまい,それ以上議論を深めようとしなくなることが原因で生じるのではないかと考えていた。そのため,眞鍋はクラスで行う議論の際に学習者にメモを取るように促していた。また森元は,学習者の人数分のパソコンを教室に持ち込み,各学習者が議論をしながら,同時並行で文章修正をするという方法を試みており,議論と作文の間に生じるズレを埋めることに一定の成果があったこと

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