●165A: デザイン側の狙いというのはどのくらい伝わればいいんでしょうかね。裏の狙いもあるので,全部学生に示す必要はないのでしょうが。幅がある分,どこまで学生に提示していくかというのもデザB:どこまで提示するかということは私の中では,何度行なっても明確になっていません。A: そうですよね。結局その場にいるメンバーとか状況によって異なってくるものなので,その時その時のやり方で解決していくしかないんですよね。そこは予めはデザインしきれない部分ですね。C:デザインしきれない,のがまだ楽しめていないと思います,私は。李ジョン美,他/活動型クラスにおける教師の楽しさ他の授業と異なり,自分も話し合いの一参加者として意見を述べるので,その時は先生という立場を忘れます。エッセイ&インタビュー/センター最前線実は「ゴール」は教師が勝手に設定してしまっているように思います。学生には「ゴール」じゃない何かが大切なんですよね……学習者との距離が近いですよね。活動型をやっていると,デザインしたものと,実際運営が変わったり,離れたりしますよね。その時に「こんなに離れちゃっていいのかな」という不安,「もやもや」があります。インの一部でありますね。教師というよりかは,学生の輪の中に入って,一参加者になったような気持ちがするんです。今日も実はそうでした。ことができた時,楽しくなり,思わず「うふふ」と呟いてしまいます。さらに教師の期待通りに学習者が授業外でも考え続け,考えが深まり,変容していることが分かった時も「うふふ」と呟いてしまいます。3.3 デザインしきれず「もやもや」活動型クラスが「可能性の広がりがあること」は,3.1で述べた通りですが,それ故に教師の想定した方向から離れることもあります。デザインの「うふふ」が,同時に教師を戸惑わせる「もやもや」の種でもあります。デザインの幅があるだけに,レポートの提出を拒否したり,途中で止まってしまったりする学習者がいた場合,どの程度クラス運営や目標の修正を行うかということは,教師を悩ませます。そして,このような状況に教師がうまく対応できたとしても,それが次回のデザインにそのまま活かせるかというと,学習者が異なれば状況は同じではなく,思ったようにはいきません。「デザインしきれないところがある」ことも教師側にとっては「もやもや」であり,不安につながります。クラスで起こるすべての状況を「デザインしきれない」と認めてしまえば, この「もやもや」を楽しむこともできるのかもしれませんが,なぜか「しきれる」という気持ちになってしまうのです。これは「教師」という立場を意識しているからでしょう。次節の教師像と重なる問題です。3.4 ゆれる教師像で「もやもや」「活動型では,教師でなくていい」という意見が座談会で出ました。3.2では「教師も話し合いの一参加者として考えを述べるために,学習者に理解してもらえる楽しさがある」と述べましたが,その楽しさには裏面もあります。ここでは活動型クラスおける「教師像」について考えてみます。活動型では,学習者が自分自身を振り返り,発信したいテーマをクラスで話し合って共有するの
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