早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●164早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/162-167学習者の考えが分かったり,考えの変遷が分かったり,その変化を近くで感じられるのは楽しいというか嬉しいというか,そんな気持ちになります。他の授業では,「考え」に深く触れるということはあまりないですよね。私も考えを述べて,(学習者に)私のことを知ってもらいたいという気持ちがあり,それが(活動型の話し合いでは)叶えられます。他の授業で考えを聞いても,その時だけに終わってしまいますが,活動型は内省など授業後も関わっていると思います。今日から本格的な議論が始まり,話し合いに参加して,学習者の話を聞くのは楽しいと感じました。学習者の「顔」が見えたという感じでした。「顔」というか「考え」を通して見える「顔」ですね。一つのテーマについて一学期間ずっと考えられるのは,確かに贅沢ですね。伝え合って,お互いに「知る」んですね。教師を含めた面々がお互いによく知り合える。活動型は,時間も空間も超えて「拡張」していけると言えるかもしれません。起こる楽しさとは違い,対話ややりとりの中でじわじわと感じる楽しさであり,思わず「うふふ」となる類のものです。そして,活動型クラスが終了してからエッセイやレポート等の完成したものを読み返したり,授業を振り返ったりする際に,再び深く染み入るような充足感を得て,「うふふ」となるのです。3.2 話し合いで「うふふ」1)活動型クラスでは相互に「考え」を理解し合える活動型クラスは,3.1で述べたように学習者が考えていることについての話し合いが授業の中核となります。他の授業でも話し合いは行われますが,学習者の深い考えに触れるものではありません。活動型は充分に議論できるという贅沢さがあり,充分な議論により学習者の深い考えも分かってきます。つまり,活動型では充分な話し合いと議論が行えることで,学習者の深い考えが表出され,表出された考えを理解したり,変容を感じたりできることが教師としての楽しさです。また活動型は,教師が学習者を理解するという一方通行だけではない楽しさもあります。このように活動型の話し合いには,教師も話し合いの一参加者として考えを述べ,学習者に理解してもらうという楽しさ,学習者同士が理解し合えたことを感じることができる楽しさもあります。2)活動型クラスの話し合いは「時間」と「空間」を超える話し合いの楽しさは,次のようにクラス内だけに留まらず,話し合いを振り返る内省の時にも感じられることから,時間と空間をも超えたものであると言えます。以上のように話し合いでは,学習者と理解し合えた時,学習者同士が理解し合えたことを感じる

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