●163李ジョン美,他/活動型クラスにおける教師の楽しさエッセイ&インタビュー/センター最前線他の科目での活動の流れは,技術的なことの積み上げで考えますが,活動型の流れは人の考えの流れで決める楽しさがあります。私は活動型のデザインの贅沢さにあるように思います。充分議論できる贅沢さがあると感じます。*四角囲みの中は座談会での発言内容5)。以下同様。どんな学習者が来るのか,(略)デザインの幅は広いと思います。可能性が広がっている状態が私は楽しいです。活動型じゃない授業でも「○○さんの考えはどうですか?」って投げかけはする時もあると思います。だけど,そうストレートに聞くんじゃなくて,活動型は,デザインに,参加者の考えを引き出す仕掛けが埋め込まれている(デザイナーが意識して埋め込んでいる)んじゃないでしょうか。活動型は学習者の「考え」が発信できたところがゴールで,学習者なりに考えを表現でき,発信できたなら,ゴールと捉えてもよいような。だから,活動型のコンセプトは幅広いですね。話し合いについての楽しさが挙げられました。またそれらの楽しさは,「うふふ」と思わず呟いてしまうようなものであることが共通に認識されました。しかし同時に裏面では,デザインしきれないことや教師像などについて「もやもや」とした感情を抱いていることも分かりました。本章ではそれら「うふふ」と「もやもや」について述べます。3.1 デザインで「うふふ」活動型クラスの楽しさを考えると,まずコンセプトやデザインそのものが持つ楽しさが挙げられます。座談会では主に次のような面が浮かび上がりました。1)活動型クラスは「考え」を存分に扱う贅沢な授業である活動型クラスでは,学習者が考えていることが教室で繰り広げられ,それが授業の中核となります。普段,学習者の考えに深く触れる機会があまりなく,「もっと聞いてみたい」と感じることも少なくありませんが,活動型では学習者の深い考えこそが授業の素材でもあり,目標でもあるので,互いを深く理解し,よい関係を築くことができます。このようなことが授業の中でできることは楽しく,そして,贅沢なことだと言えます。2)活動型クラスでは可能性の広がりが楽しめる学習者の考えを中心に据えるということは,様々な考えがそこで展開されることになるので,テーマについてのみならず,教師の予想していなかった授業の方法や授業目標の修正などについての考えも提示されることがあり,教室ではそのような考えにも対応することになります。活動型クラスは,綿密なシラバスを事前に立てられるものではなく,むしろ授業計画を固定することで活動型ではなくなってしまいます。満足できるシラバス形成を目指すより,様々な考えを受け入れる広い土壌を準備しておくことが肝要なのかもしれません。そして,可能性の広がりに対する心構えをする中で,学習者が期待通り,あるいは期待以上に土壌を掘り起こし,広げてくれた時,私たちは楽しいと感じることができます。それは「ヤッタ−!ヨシ!」というような瞬時にわき
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