早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●155反応反省点最後に②鑑賞・隔週で鑑賞する・小学生から古今の名句まで幅広く鑑賞する。・ まず学生が一句ずつ音読し教師が音読する。音読することで日本語のリズムに慣れ,句切れ・破調などを理解していく。・ 学生は2~3人のグループに分かれて意見や感想などを述べ合い,俳句の解釈を試みる。各グループの解釈を発表,意見交換をする。教師も一鑑賞者として参加する。・全体の振り返りをする。③その他・吟行 学期に一度外へ俳句を作りに行く。・ 短歌 学期半ばで短歌の作り方を導入し,以後句会には俳句・短歌どちらを出してもいいことにしている。短歌も鑑賞をする。初句会の後感想を求めると,「自分の句を選んでくれたことに感動した」,「自分の作った句をこのように鑑賞してもらってうれしい」というコメントが,学期の終わりには「日常のいろいろな所に目が行くようになった」「四季に敏感になった」という声も出る。日本人は自然を詠むことが多いが,留学生は内面を読み込もうとするようだ。そのためか俳句・短歌を鑑賞する場合も,これは何の象徴かと一字一句を深読みしがちのように見えるが,それに自らの人生を重ねて感動や感想を伝えようとする。これは普通の日本語クラスではあまり体験できない光景のような気がする。文法の側面から見ると,俳句は17音と非常に短くしかも季語が入るため,実際に言いたいことに使えるのは12音程度となる。この12音を有効に使おうとすると助詞に多くを語らせるほかはない。助詞がうまく使えるようになると動詞が省略できる。助詞の大切さを理解するはずである。俳句を鑑賞しているといろいろな解釈が出てくる。学生は皆異なる国から来ているわけで解釈が違うのは当然,大いに喜ばしい点でもある。が,文法を無視して言葉だけを繋いで世界を作るとなると別の話になる。その点を指摘すると解釈の押し付けだと受け取られかねない。どこで線引きをすればいいのか日々悩むところである。俳句は座の文芸といい口承文芸である。目で読むものでは決してない。句座を囲み互いの俳句を鑑賞・批評することで,その楽しさが少しでも伝われはと願うしだいである。浜畑祐子/「俳句を作る短歌を詠む7-8」を教えてエッセイ&インタビュー/センター最前線

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