早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●150早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/139-152の維持に繋がった」と述べている。また,その後渡部は,FB担当者と授業や学生について報告し合う機会が増え,「教師と学生の面白いと感じるもの,求めるものには大きなギャップがあり,私自身は独りよがりな授業をしていないだろうかと,振り返ることが多くなった」と述べており,教師間のやり取りの活発化が自身の授業を見直すことにつながっていった様子が見て取れる。小西はランチ会には出席していないが,FB担当者と常に情報を共有することでFB時の学生の様子を把握し,学生が書き込んだトピックを毎回の授業に反映するようになった。今後の取り組みとして,「ネット上における自由なやり取りを活性化するために,他の担当者と連携を図りながら手立てを講じていきたい」と述べており,自身が今後FB担当者となることを想定した前向きな姿勢を示している。このように,活動が開始してから漠然と書き込みをしていた3人の火曜日担当者にとって,教師間の情報交換は「日本語かきこ」における自身の立ち位置を見定めるのに大いに役立っていた。それと同時に,火曜日担当者によるFB担当者とは違った角度からのアプローチが活動自体の活性化を促す要因の一つとなっていたとも考えられる。最後に,コーディネーターである坂田はどのようにこの活動を観察していたのだろうか。坂田はクラス担当者ではなかったため直接学生と接することはなかったが,担当者の動きや変化を客観的に俯瞰して観察できる立場にいた。この活動が担当者間の情報交換を自発的に生み出し,勉強会の立ち上げにまでつながったことについて,「学生の自己表現の場を目的とした『日本語かきこ』が,教師の主体的な自己表現の場にもなっていった」と振り返っている。そして,自身も活動全般を通して教師と学生だけでなく,教師同士の関係を育むことの重要性について改めて認識したと述べている。4-2 「日本語かきこ」における教師間シナジー前節では,一人ひとりの意識や取り組みに変化があったこと,また,「日本語かきこ」の活動経緯においてランチ会の開催が一つのターニングポイントになっていたことを述べた。では,ランチ会は教師たちにとってどのような意味があったのだろうか。それをどのように捉えることができるのだろうか。この活動は教師の裁量で自由に運用できる反面,独立性が高くなることで教師は孤軍奮闘せざるを得ない状況にあった。だが,同じ活動に関わる者が一堂に会する機会を持てたことで,各クラスの状況把握や活動の進め方を共有し,新たな方策のヒントを得られたことは想像に難くない。さらに,教師に及ぼされた影響を考えると,このランチ会が情報交換の場に留まらず,クラスや担当曜日を越えた教師間の連帯意識が生まれるきっかけとして作用する場となっていたことは明らかである。その背景には,教師各人による個々のレベルでの取り組みが同じ活動に関わる者との繋がりを求め,より大きな一つの取り組みへと変化を遂げようとする動きとなったことが考えられる。本稿では,この教師間の連携から生まれる相乗作用を教師間シナジーと呼ぶ。これは,同じ活動に取り組む教師の連携と活発な議論が可能な環境であったからこそ,起こり得たものである。議論を経て影響や刺激を与え合うことが互いの意識にまで変容を及ぼし,実践における幅の広がりをもたらしたとすれば,それは個人の活動である場合には決して起こり得ない相乗的な作用である。つまり,「日本語かきこ」は主体的に携わった教師たちの教師間シナジーによってその結束を強め,自身の学びをも促す活動になったと言えるのではないだろうか。以上のことから,「日本語かきこ」の活動における実践を通して,教師がより広い視点から自身の取り組みを考察し,実践していくた

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