早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●132(10秋)6.外国人(留学生や定住者)の社会参画を支援できる教材価値早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/119-137う。(10春)この例は,外国人学生の例であるが,他にも同様の指摘を「私にはもったいない」等のセリフを引いてコメントした日本人学生もいた。映画に求める非言語的な教材価値としてこうした「目に見えない文化」や「気づきにくい文化」を取り上げる大きな理由の一つは,映画の視覚性にある。これは,言語教育における視覚表現の理解(ビューイング)や視読解といった概念を日本語教育の文脈で論じている門倉(2011)とも共通する部分である。外国人学生が経験している日常生活には,この視覚と聴覚の両方を複合的に駆使しながら把握するべき意味の世界が多い。それは教室の中であっても,教室を離れた生活であっても状況は同じである。本授業科目の中で行われる映画の教材化の意図は,一般的に聴解活動が中心になりやすい映画の使用法とは別に「見てわかること」を盛り込んだところにも向かっているのである。それは同時に聞いたり話したりする日本語のレベルに依存しないことも意味する。『男はつらいよ』は,英語や日本語の字幕が完備されている。また,日本語教育用に全48作品の台本データが電子化されている。(石上・坂谷内・小松2001)外国人学生に対する日本語教育の面から見て言語のバリアフリー化がされており,そうした部分も教材価値が高いと言える。これまで述べてきた『男はつらいよ』の教材価値は,言語的な教材価値と内容的(非言語的)な教材価値の2つの側面から指摘できる教材価値であったが,これから述べる教材価値は,映画そのものの教材価値というよりは,その周辺的な教材価値である。それは,映画のストーリーや内容から距離を置いて,現実世界にリンクする教材価値である。ここでは,大きく2つの観点から日本社会への参画を支援できる教材価値として述べたいと思う。一つは「柴又」という地域社会から始まる社会参入の観点であり,もう一つは「諸メディア」を通じた社会参画の観点である。6.1 地域社会「柴又」から始まる社会参入から社会参画へ映画『男はつらいよ』の中心的な舞台は,言わずと知れた「東京都葛飾区柴又」である。これについては,次の有名な寅さんのセリフでも確認できる。21) 寅: 私,生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい,姓は車,名は寅次郎,人呼んでフーテンの寅と発します。(『男はつらいよ』第1作)そして,柴又の下町の一角にある「とらや」というだんご屋を営んでいるおいちゃん,おばちゃん,妹のさくらや義弟の博とその息子である満男が家族として登場する。映画はこれらの下町を舞台とした地域社会を描きながら,寅さんとその家族の生活を表現している。『男はつらいよ』を日本語教育の教材として視聴した場合,例えば日本人学生も外国人学生もともにこれが日本の姿であるとか,代表的な日本人であるといった印象を持ちやすいし,日本社会の典型的な姿とも理解するようである。次の例は,どちらも学期開始すぐのコメントである。22) この映画は,日本の家族・社会・また日本文化に触れおもしろい作品だと思いますが……23) 教材として初級者にこの映画を見せると,彼らは「これが日本だ!! これが日本人の姿だ!!」というイメージを過分に持つことになるでしょう。(10秋)

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