●1305. 映画の内容的(非言語的)な教材価値:文化や社会が素材の教材価値(表と裏のシラバス)早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号/2012/119-137ここでは,前々節3.で述べた授業計画のうち,文化や社会が素材となる教材価値を中心に具体的な考察を進めたいと思う。資料としては,学生の授業カルテと担当者が配付した教材が中心となる。5.1 「異文化間コミュニケーション」を素材にした教材価値本授業科目では,映画『男はつらいよ』の日本文化や日本的なものを教材化する回として,「異文化間コミュニケーション」と「目に見えない文化・気づきにくい文化」という2つの視点を提供して教材価値を考えた。前者に関しては特に『男はつらいよ』の第25作「寅次郎春の夢」に特化して実施した。この第24作は,「フーテン的なアメリカ人セールスマンがとらやに下宿することになって大騒ぎの巻」(吉村2005)とあるように寅さんが作品の中で外国人との接触を経験するという作品になっている。日本対アメリカという異文化間ギャップがテーマとなっている作品である。そこで本授業科目では,次のような映画のセリフを取り上げて,学生たちのステレオタイプに揺さぶりをかけることにした。この回のテーマは,非言語的な教材価値を考えさせるのと同時に,「小さな多文化共生社会」(裏のシラバス)の実践でもあった。15)圭子: いつもめぐみと話してるんですよ。口数が少なくて思いやりがあって,本当に魅力的だわねえって。 めぐみ:私,さくらさんが恋した気持,よく分るわ。 さくら:あら‥‥‥ 寅:へーえ,今時ゃ,この手の男が流行るのかねえ。 博:流行りませんよ‥‥‥まいったなあ。(『男はつらいよ』第24作)16)圭子:だから,アメリカ人によく誤解されましたわ。 竜:ほう,それはどうして? 圭子:ほら,アメリカ人は自分の考えをはっきり言うでしょう。 さくら:ええ。(『男はつらいよ』第24作)例15)では,日本人の考える魅力的な男性像について,考えてもらい,そうしたイメージには文化が反映されているのかどうか,固定的な先入観が現れていないかどうかなどを議論した。また,例16)では,「アメリカ人は,自分の考えをはっきり言う」という言及に対して,その真偽を問い,「日本人は,○○」という言及を考えてもらって,それらを比較しながらステレオタイプの存在に気づかせるプロセスを踏んだ。こうした一連の活動については,古くは『21世紀の「日本事情」日本語教育〜文化リテラシーへ』(第1〜5号)やそれに継続する議論の場である論文誌『リテラシーズ』で広く展開されてきている日本事情教育の分野で議論されたテーマと深くかかわる。『男はつらいよ』の非言語的な教材価値を見出そうとするとき,これらの研究を背景にした日本事情の実践をデザインすることにもつながる可能性があったが,本授業科目では,教材価値論の主旨とずれるので,それを強調することはなかった。本授業科目の中では,多くの「日本人は○○」や「〜人は○○」が授業カルテに挙げられたが,どの学期にもこうしたステレオタイプの洗い出しと批判を重ねることができ,引いてはそこから
元のページ ../index.html#132