早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
131/222

●129(10秋)中山英治/日本語教育における映画の一般的な教材価値と社会参画を支援できる教材価値特集 教室中心主義からの解放/寄稿論文ができる。文法の側面では,特に「〜んです。」といった文型を取り上げた回で,受講者たちの様々な気づきが見られて興味深かった。その一つは,普段,外国人学生が学習している文法・文型の学習について,日本人学生がその難易度をより深く理解した気づきであった。12) 今日の「〜んです」は,日本人である自分にとっても難しいものであった。日本語が学習者にとって習得するのに苦労する言語であるということを実感することができた気がする。こうした点も混在型クラスの効果と言えるだろう。「小さな多文化共生社会」を教室で展開することの意義は,共生の面から見た共生言語7)の育成につながる。ただし,映画の教材価値を考えるという文脈で文法という側面を際立たせてみると,やはり次のように生教材の特徴から否定的な見解を示す学生も出ることに留意したい。13) 特に寅さんの場合は,日本人が日常で使っている(いた)生の声であることが多い。そのため,文法にきれいに当てはまらない言葉(語順が変わっていたり)や省略の類が頻出し,初級学習者の副教材化としてはあまり適していないと思う。(中略)文法の指導と寅さん映画のような副教材は相性が悪い気がした。(10春)そこで,こうした映画の理解を前提に考えてしまう学生の観念的な理解に揺さぶりをかける方法が必要となり,本授業科目ではサイレント法8)という手法を紹介した。この方法は,聴覚教材の音を消して再生する手法である。寅さんが愛しのリリーのところへお見舞いに行く場面(『男はつらいよ』第25作)で,このサイレント法を使用して,「〜はおいしい・まずいですか/〜はまずいですが,〜はおいしいです」といった形容詞の叙述用法を指導する方法を展開したところ,学生からのコメントに次のようなものがあった。14) サイレントで見たとき全くわかりませんでした。リリーの「まずい」しか口の動きでは読み取れなかったけど,こういうことを言っているんだろうなと想像したこともあながちはずれていませんでした。「前後や背景から生徒に想像させる」という方法は,非常に有効であると思います。(10秋)石田(1988)では,視聴覚教材(ビデオ教材)の特性として「①視覚と聴覚に訴える」や「②画面に動きがある」や「⑨音を消して画面だけでも使える」といったことを挙げている。ストーリーの理解にこだわらない指導を考えれば,生教材としての映画の教材価値を広く見出すことができるのである。その他にも学生たちは,文法的な側面の教材価値として映画『男はつらいよ』から「終助詞のバリエーション」やスピーチレベルシフトにも関わる「フォーマルとインフォーマルとの文法形式間の切り替え」などを指摘していた。この節で述べたように,映画の一般的な教材価値としては,言語的な側面から音声・音韻の側面や語彙・文法の側面からの教材価値を見出すことができた。そこでは,映画を利用する際の2つの態度が確認された。それは,「理解を求める教材化」と「理解を求めない教材化」であった。これまでの映画の教材価値はどちらかと言えば「理解を求める教材化」を意識して使われていた面が強いが,これからは「理解を求めない教材化」についてももっと工夫することが必要である。そうすることで対象者を限定しない映画の教材価値が見つけ出せると思われる。

元のページ  ../index.html#131

このブックを見る