早稲田日本語教育実践研究 刊行記念号
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●1212.日本語教育における視聴覚教材を中心とした教材論と映画を使用した実践研究の整理中山英治/日本語教育における映画の一般的な教材価値と社会参画を支援できる教材価値表1 教材価値論と教材化教材と学習者誰が学ぶ教材価値か学習者の興味や関心を調査したり,学習者のニーズやレベルを確かめたりしながら教材の目的化をはかる側面特集 教室中心主義からの解放/寄稿論文日本語教師の授業デザインに即して教材を分析したり,開発や作成を行ったりする側面教材と日本語教師誰が分析する教材価値か教 材 価 値 論教材化のプロセス誰が誰のために教材価値を見出すか教材化①:教材の加工や修正する教材化②:素材を教材にする学習者と教師をつなぐプロセスここでは,前節1.の本授業科目の教育的文脈で述べた日本語教育における視聴覚教材を中心とした教材論の研究と映画を使用した実践研究について整理しておきたいと思う。2.1 日本語教育における教材論と視聴覚教材研究本授業科目でメインの参考文献に挙げていた岡崎(1989)の「1.教材論の体系的把握」を見ると,「教育教材・教具論の骨格」として,「(1)教材・教具概論の分野」と「(2)具体的使用の分野(分析・使用・作成)」とに分けて整理されている。「留学生受け入れ10万人計画」が国策の一つであった当時の学習者の多様化を社会的な背景に持った中で「領域全体の体系的整理及び教材の体系的分析,使用,開発といったことが可能」とも指摘されている。当時の日本語教育の文脈を外したとしても,この体系性を踏まえた教材論の整理は,参考になる。河原崎・吉川・吉岡(1992)は,同様に多様化をキーワードとして「教授法の変遷と教材」がまとめられており,学習者・日本語教師・教授法の多様化に伴って教材の多様化を指摘している。二つの論考を見てわかるように,教材論は常に学習者と教師(教授法)との関係の中で論じられるべき問題であると言える。窪田(1989)にも「学習者・教授者・対象言語の3者を結ぶ緊張関係の中にある」ものとして位置づけられる通り,教材(論)は,これらの変数に即して論じられることが必要である。本稿では,「教材論」という位置づけではなく,「教材価値論」という位置づけを考えている。これは,「教材と学習者」や「教材と教師」の関係性を含めた概念であり,「誰が学ぶ教材価値か」ということや「誰が分析する教材価値か」ということを踏まえた概念である。そして,「教材価値論」には,「教材化」という概念も包摂される。これは,「誰が誰のために教材価値を見出すか」といったことである。この「教材化」には大きく二つのプロセスがある。一つは「既存の教材を誰かのために加工したり,修正したりするプロセス」であり,もう一つは「既存の素材6)を誰かのために教材にするプロセス」である。上のような教材価値論の概念を踏まえた上で,ここからは,特に視聴覚教材の研究を概観しておく。視聴覚教材の一般的な利用法や使用法については,例えば,石田(1988)や佐久間(1989)などに80年代後半の教材研究の文脈の中で詳しい研究が報告されている。90年代前半の研究でも河原崎・吉川・吉岡(1992)の「視聴覚教材論」の節では,「視聴覚教材の利用や開発の現状」とともに「視聴覚教材の使用法」がまとめられており,第二部の「教材解題編」と合わせて当時の教材論研究の成果が網羅的に報告されている。こうした流れを受けて『日本語教育指導参考書21 視聴覚教育の基礎』(1995)が発行された。日本語教育における視聴覚教育・教材論に関する理論と

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